> 私鉄屋雑記帳 2016年03月
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三条イツキ

Author:三条イツキ
どこまでも続く田園風景の中を、のんびりと単行の古びた電車が、ゆらゆら車体を揺らしながら、釣り掛けの轟音を残して通り過ぎてゆく…
私鉄系旧型電車が好きな管理人が、国内の地方私鉄から海外の軽便鉄道まで、気の向くままに写真を撮り歩いては書き綴るブログです。
マイナー路線まっしぐら!!

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前面貫通幌の時代、再び
京急で台鉄塗装が走ったのだから、いずれは台鉄も…なんて思っていたら、な、ん、と!マジでやってしまうようです!!

台鐵:日本京急紅色列車塗裝5月在台現身| 生活| 聯合新聞網

「日本の赤い京急塗装列車、5月に台湾で登場」といったところでしょうか。
5月…うーん、実は4月某日発の高雄行きのチケットを既に取っちゃったんですよねー(-_-;
こりゃあ、早くも今年2回目の訪台を計画せねばなりません!?


さてさて、前回は台鉄ラッピング車を追っかけまくったという記事を書きましたが。
それともう一つ注目のクルマだったのが、3月4日から走り始めた新1000形1800番台です。
なんと4+4編成での地下鉄直通運用を想定して貫通路を中央部に移設、幌を設置すれば車内で通り抜けができる構造になりました。


これ、去年の暮れに友人から「こんなの出るらしいよ」とラインが来て初めて知ったのですが、もうね、ぶったまげたですよ!
エイプリルフールは4カ月先だぞ、とw
しかもその姿は、まさに1500形や旧1000形の正統進化版という感じで、銀千のクセに、どこか懐かしさを覚える風貌、なかなかどうしてカッコイイじゃないですか。
いや、今までの銀千がどうしようもなくダメだったので、比較して良く見えるフィルターが掛っていたこともありますがw
不覚にも、あの旧型電車派の三条が、今どきのステンレスカーで記事を1本書いてしまいました(笑)


新旧比較。
顔だけでなく、側面も白太帯風のフルラッピングに変更され、アルミ車以前の「赤い電車」のイメージに近くなりました!
あの最高にイケてない「KEIKYU」ロゴも無くなり、ずいぶん好印象に。
京急さん、今までの銀千も、これと同じラッピングにしません??


今のところ幌は取り付けられておらず、線内限定で運用されています。
1800番台同士の8連で固定され、日中はエア急で羽田と逗子を行ったり来たりしていることが多いようです。
幌を繋げて浅草線を行く姿も、早く拝みたいですね。


***



でもって、京急で前面幌付きといえば先代の1000形。
こちらもデビュー当初は湘南2枚窓の非貫通型でしたが、写真の1071Fを含むグループから浅草線へ直通させるべく貫通型になりました。
まさに歴史は繰り返す、ですね。
2003年6月2日撮影



幌使用中の姿。
晩年も比較的遅くまで、朝夕ラッシュ時になると4+4を組んで浅草線へ顔を出していました。


車内では、こんな風に通り抜けが可能でした。
3枚とも2008年9月3日撮影
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続、京急に普快車がやってきた!

はい、見事にハマってしまいました京急の台鉄ラッピング。
いやぁこれほど京急沿線に通い詰めるのは、2000形がリバイバルカラーになった直後、あの頃以来ではないでしょうか。
この手のラッピング車両を、ここまで夢中になって追っかけるのも初めてですなー。



高架駅を颯爽と通過する普快車。
ここは汐止か、五堵か!?


七堵~八堵にてwww
車庫のある金沢文庫は七堵、2方向に分岐する金沢八景は八堵、なんちゃって。


横浜高島屋バックにて。
そごう、三越は台湾でも見掛けたのですが、ググってみると高島屋も向こうにあるのですね。
天母なんてハイソな街に縁がないので知りませんでしたw



弘明寺公園の俯瞰では、ちょうど800形と離合しました。
こいつも既に10編成が廃車になり、残りは約半数の12編成。
もともと数が多いので、今のところ日中でも本線で待っていれば、そんなに苦労せずに遭遇できるのですが、特徴ある3+3の中間化改造車や、固定窓の初期車なんかも全て過去帳入り、もう旬は過ぎてしまったという感じです。
京急最後の片開き1枚扉に1灯ライト、悔い無く記録したいですね。


このエキゾチックな警戒色スカートが堪りませんw
ベースがブルスカそのままなので、ロゴマークや、けいきゅんステッカーもペタペタ貼ってあって、先頭車は賑やかなのですが、


それらを写さないようにすれば、もう台鉄の駅に停まっていても違和感が無いレベル。
「両開きで2つ扉なら、印度仔の後継車?でも冷房付きだし座席も上等だから、運賃は復興号くらい取ってもいいよなぁ…」なんて妄想する物好きなテツはまだまだ少ないようで、撮影していると”千葉急色”という声も聞こえてきたりして(笑)
近いとは言え海外の、それも地味な鈍行列車の塗装ですからね。
よくぞこんなマニアックな企画が通ったなと思います。


さて、そんな台鉄ラッピングも当初は3月26日までの予定でしたが、なんと!めでたく6月下旬まで期間延長となりましたー、ばんざーい!!
これは今年のファミリー鉄道フェスタでも、台鉄関連のイベントを何かしら投下してくると見て間違いないでしょう。
個人的には、どうも撮影できる日に限って天候に恵まれなかったので、また近いうちリベンジしたいところです。

まさかの200系

熊本市電の後は、交通センターから電鉄バスで北熊本へ。
役目を終えた青ガエルはモハ71の奥に押し込まれ、昨日の喧騒が、まるで嘘のように静まりかえっていました。

さて今日は、まだ一度も乗れていなかった01系に乗るつもりだったのですが、


おや!?
2編成とも車庫でお昼寝中です。
ということは、まさか…



200系www

えええええ、これは嬉しいような悲しいような…(^-^;
いや、まぁ200系も1編成しか居ませんし、基本的に予備車なのでレアっちゃレアなんですけどね。


というわけで、もちろん撮りますよ。

01系が入る前は、北熊本~上熊本間では唯一の冷房車として、夏場はよく青ガエルの代わりに運用されていたようです(6000系はデカ過ぎて入線できないので)
他のサイトなどを見ていると、青ガエルに乗りたかったのに200系が走っていてがっかり、うざい、○ね、と稀少車ながら、非常に不憫な扱いを受けているクルマだったりもしますw


この怪しいサイドビュー、堪りません!


御代志方の2丁パンタもカッコイイですなぁ。
思えば熊電の標準塗装も、今やコイツが最後になりました。
ここに限らず、最近の地方私鉄は譲渡しても塗装はそのまま、というケースが増えましたね。
その方が、下手にオリジナル塗装にするよりも手間が省けて、ファンの受けもよく一石二鳥ということなのでしょう。
200系も、いっそ青ガエル用のペンキで帯を塗れば南海旧塗装風になりそうですが…似合わないか(笑)


打越から乗車。
北熊本~上熊本間の途中各駅はホームが1両分しかなく、こんな風にドアカットして停車します。
青ガエルがメインだった頃は200系が代走しないと発生しないイベントでしたが、01系になってからは毎日見られますねw


車内も色々改造されています。
特に気になったのは、網棚が”網”では無く、何故か”プレート”のようなものに交換されていること。
それと昭和の南海電車なのに、運転台の直後がドアというところも、何とも言えない違和感があります。


上熊本で下車。


例の俯瞰ポイントにも行ってみました。


そういえば、方向幕は故障したのでしょうか。
前日の撮影会でも白幕+サボでしたが…。


よく見ると、なかなか手作り感溢れるサボですw

***



1年前に訪ねた時は、なんと御代志~藤崎宮前の運用に終日入っていた(!)のですが、この頃は方向幕がちゃんと使われていました。



走っていること自体が珍しい200系。
運よく走っていたとしても青ガエルの代走が殆どで、こちらの運用に入っているのは非常に稀なこと。
この時は上熊本から撮影を始めたのですが、どうにも天気が悪くてテンションだだ下がりのなか、もういいやと北熊本へ辿り着いた瞬間、向かいのホームにコイツが入線してきて、一気に目が覚めたものです(笑)
それならば何としてでも押さえておきたいのが、あの併用軌道を行くシーン。
時刻は既に16時過ぎ、御代志から戻って来る頃にはもうだいぶ暗くなっていましたが、なんとか一ヤマ撮ることができました。

稼働率は低くても、こんな風に藤崎宮前にも、上熊本にも入線できるオールマイティな助っ人として重宝されていた200系ですが、果たして今後はどうなるでしょうね。
01系が藤崎宮前へ入線することもあるようですし…(それはそれで見てみたいですが(^-^;)

熊本市電1060形に遭遇する
こちらの続きです。
熊本でマルヨ、翌日は早朝宿を出て某所のスクールバスとして残っているモノコックを撮影しよう、と考えていたのですが…寝坊しました\(^o^)/
いや実は、昨日の青ガエル撮影会あたりから、ちょっと体調が悪く、どうも熱っぽいんですね。
何とかは風邪を引かないといいますが、その何とかが稀に熱を出すとインフルでしたー、ということが去年あったので、今回は大事を取って、あえての重役出勤なのです(^-^;
幸い一晩寝たら体調も良くなりました。



そして宿がトレインビューだったこともありますwww
熊本駅から近くて安いというだけで予約したので、これは嬉しい誤算でした。
部屋から眺めていると、あっという間に時間が過ぎでしまいます。


ビル越しですが、高架化工事中のJRも見えます。
この工事が進むと、洋館のような駅舎も建て替えられてしまうそうですね…。

さて、今日は「わくわく1dayパス」を使うので、市内の乗り物は殆どフリーです。
帰りの飛行機まで、適当に乗ったり撮ったりして過ごしましょう。
宿の前から飛び乗った交通センター行きのバス車内で、今日一日のプランを考えていると…隣を並走している市電が、なんと1060形ではありませんか!!


はい、即行下車!
折り返しを通町筋電停、熊本城バックで頂きました。
雲の流れが速い日でしたが、これまたタイミングよく晴れ、会心の一枚です。


1060形は昭和26年生まれ、熊本市電の営業用車両としては現役最古のクルマです。
過去に映画の撮影で旧塗装へと復元された1063号が1両だけ生き残っていますが、現在は予備で殆ど稼働していないそうで、私も走っている姿を見たのは今回が初めてでした。


車内のアイテムも一つ一つがレトロです。
しかしなぜ英語www



乗り潰しも兼ねて、終点の健軍町まで乗車。
先行の車両は、これまた古い1080形です。


後続はジェットスターラッピングの1090形。
いつもお世話になっています(笑)


かつて1060形は3扉だったので、扉を埋めた跡があります。
「冷房車」ステッカーも映画撮影の時に復元したものだそうです。


登場時から2扉だった1080形と比較すると、違いが分かりやすいですね。


これは熊電へ乗る前に、上熊本で撮影したもの。
臨時系統が停まっていたので撮ったのですが、同じバス窓で似たような印象の1090形と1350形も、並ぶと形態の違いが良く分かると思います。


この「臨」サボ、味があっていいですね。
熊本市電では出入庫系統なども「臨」扱いなので、臨時と言いつつ時刻表にも載っています。



これまた同じに見える1200形と1350形も、車体裾の長さや、車掌台の撤去跡(中扉後方)の有無など、細かな違いが。



正面窓も、全て固定式に改造されているクルマがいたりと、個体差が楽しめます。
元西鉄の連接車5000形が復活したら、また行きたいですねー。

こちらの記事へ続きます。
三岐のセメント列車
城北線の後は、久しぶりに三岐鉄道へ行ってきました。


まずはJRの富田駅へ。
相変わらず貨車がたくさん止まっていて活気ありますが、旅客の方は…いつの間にか無人駅に(汗;


しばらく様子を見ていると、四日市方からJRのセメント列車が入って来ました。
三岐の3713レへ継走する5362レです。



到着後すぐにDD51は切り離され、三岐のカマへ付け替えられます。


ED451+ED455。
先頭のED455は元々富山地鉄で活躍していた電機ですが、有峰ダム建設に伴う一時的な需要だった為、生まれた当初から三岐へ渡ることが決まっていた、という珍しい経歴の持ち主です。
車体裾や側面窓の寸法に若干の差があります。

さて、この3713レが出発した約10分後に、今度は東藤原から3714レが到着します。
次のカマは何だろうな~と近くの踏切でカメラを構えると…


ED5081+ED5082の元東武コンビでしたー!!
2003年に三岐へ来て以来、ずーっと保々で放置されていたのですが、数年前から除雪用機関車として稼働を始め、2015年6月にはメインの貨物運用にも入るようになりました。


東武時代の塗装のまま、放置されていた頃の姿。
2008年8月5日撮影


富田に戻るとDD51が発車を待っていました。
年季の入った跨線橋と黒貨車…これでDD51が国鉄色だったら文句無しなのですが(^-^;


次のセメント列車まで時間があるので、その隙に山城~保々間の有名ポイントへ移動。
今回は851Fを撮るのも目標の一つでしたが、残念ながら遭遇できず…。


3716レ。
午前中のED451+ED455が戻って来ました。



続いて富田方から3715レ、東武コンビ。
三岐にはED459号という、元東武ED5060形(ED5080形とほぼ同一設計)のカマも居るのですが、そちらがいろいろ改造されているのに対して、ED5081、5082は東武時代の面影をよく残しています。


撮影地を移動しようと富田方面へ向かって歩いていたら、一日に6本だけの保々行きがやって来ました。
左奥のホームが山城駅です。


山上の新興住宅地から俯瞰。
孤高の新車、751系が走り去って行きました。
ここは以前ネットで見つけたのですが、富田からそう遠くない場所に、こんな良い撮影ポイントがあるとは知りませんでした。


続いて切妻な101系。
コイツは2連3本が活躍していて、三岐ではよく見掛けるクルマです。


湘南2枚窓の801系、こちらも3連3本在籍。


この飾りっ気のないTHE通勤電車!って感じが、昔の西武らしくて良いですねー。


そしてお待ちかねのセメント列車、3717レ。
もう少し広角で引き寄せれば黒タキも最後尾まで収まりそうでしたが、手前が結構ゴチャゴチャしているので、悩んだ末この位置で切りました。


電機重連に黒貨車!こんな貨物列車が、ほぼ毎日走っている三岐線。
数年前に骨材輸送が消えてしまったり、全体的に減少傾向ではあるものの、それでも充分楽しめる路線です。
城北線で世代交代
え?あの城北線が…!?という感じなのですが、今年度中の引退が報じられているJR東海のキハ11系鋼製車グループ(0、100番台)の動きに合わせて、仕様がほぼ同じ城北線用の200番台についても、ステンレス製の300番台へ置き換えられることに。
まず予備車として、美濃太田に居た203、204号が昨年3月14日のダイヤ改正で運用を離脱、続いて9月24日から301号が城北線を走り始めると、代わりに201号が引退しました。
残るもう1両の202号も、今月19日にさよなら運転が実施される予定です。



というわけで甲種の後は、その足で枇杷島へ。
本当は翌朝に行くつもりだったのですが、甲種の後半戦がウヤったので、今日も少しだけ撮ることにしました。
するとDD51の重連とすれ違いで、キハ11-202がやって来ました。

この時間、城北線は2運用になるので、新入りのキハ11-301も撮れたのですが、まぁ暗くて残念な写真しか撮れなかったので、


翌朝の写真を貼りますw
これの折り返しに乗って、目指すは枇杷島から3つ目の比良駅です。


300番台にはトイレが付いているのですが、城北線では使用できず「業務用」と書かれています。


運賃表示機も、今までの城北線には無かったアイテム。
200番台では三角表を見るか、


整理券に運賃が書かれていましたwww
300番台では整理券番号と乗車駅名が印字されている、ごく普通のタイプになっています。


それにしても相変わらず凄まじいほど無駄豪華な設備で、浮世離れしてますなー。
城北線に乗ったのは、もうかれこれ15年ぶりくらいになるでしょうか。
八百津の方に遠縁のお墓があり、親戚の家があった大曽根から中央線で向かう途中、不自然に途切れた高架橋と単行のディーゼルカーがポツンと止まっているのが見えて、何だろうと興味を持ったのが城北線との出会いでした。
それで乗りに行って以来だったのですが、当時から300番台が導入されるまで大きな変化は無く、いかに地味な路線かが分かると思います(笑)


比良で降りたのは、この並びを撮りたかったからでしたー!
朝ラッシュ時は基本的に小田井付近で離合するダイヤが組まれている為、相対式ホームの比良駅で並ぶのは7:39、この一回だけなのです。


これでもかっていうくらい都会的な風景に、単行のディーゼルカー
このギャップですよ。
沿線は普通にマンションとかが建ち並ぶ住宅街なんですが、朝ラッシュ時でも、これは果たしてラッシュと呼んでいいのだろうか、と思う程度にしかお客さんは乗ってませんでした。
以前、城北線のキハ11は都会っ子…なんて書きましたけど、ぶっちゃけ湊線の方が混んでいると思いますw


続いて小田井駅での並び。
そもそも城北線が2台並んでいる姿自体が新鮮ですね。
何てったって平日の朝夕以外は1運用ですから…。



全線高架なので、走行写真も必然的に駅撮りになってしまいます。
これは小田井駅の枇杷島方。


特にこの付近は、高架の名鉄犬山線を乗り越える高々架になっていて、ホームからの眺めは抜群です!
ちょうど、先頭化改造車の5601編成が通過しました。


ホームを降りると、だだっ広いコンコースが現れます。
将来、ここに改札機が並ぶのでしょうかね。
とにかく殺風景で、まるで建築途中の駅に迷い込んでしまったかのようです。


これなんて軽くホラーですよwww
エレベーター自体は機能しているのですが、今は地上からホームへ直結しているので、途中階はこんなのっぺらぼう状態になっています。


地上階には意味深な謎のレール。


外観も異様で、何もかもがオーバースペックな城北線。
”大人の事情”から、仕方なく今の状態になってしまっているのですが、このご時世、これほど勿体ない使い方をしている鉄道もなかなかないでしょう。


202号に乗って枇杷島へ戻ると…車内で、こんなものを見つけました。



名古屋!!

まず使うことのないネタ幕ですが、ここの場合は事情が事情なだけに、世の中に対する小さな抵抗のようにも見えて、考えさせられますね。


202号についても、引退後は湊線へ譲渡される予定です。

こちらの記事へ続きます。
湛江DL甲種なんてなかった
日車の豊川製作所から名古屋港まで、稀に運転される海外輸出用車両の甲種輸送。
日本国内を海外の車両が走ることは殆ど無いので、前々から行ってみたいなーと思っていたネタの一つなのですが、遂に先日(3月3日)中国は湛江鋼鉄向けDLの甲種を撮影することができました。
ホントは、多少無理してでも台鉄甲種に行きたいんですけどねぇ…いつも休みが合わない(^-^;


まずは豊橋入線から。


飯田線から東海道線の下りへ転線する為、一旦豊橋駅を通り過ぎて、豊鉄の花田信号所のあるあたりまで行きスイッチバック、湛江DL側が先頭になりました。
製鉄所用の機関車ということで、いかにもな風貌をしていますね。




もちろん表記は簡体字w

この湛江DL、以前にも何度か輸出されており、日車のお得意様のようです。
あちらの新幹線など粗悪なパ○リ車両ばかりなのに、なぜ製鉄所の機関車に日本製をわざわざ輸入しているのか素人目には不思議なのですが、まあ何か理由があるのでしょう。


次は名古屋臨海鉄道の沿線で撮ろうと、豊橋から名鉄で大江へ先回り。



お、デキさんがいらっしゃるではないですか。

大江駅から、木材のような(?)独特の臭いが漂う工業地帯を歩くこと約10分。
築堤の撮影地、晴れれば順光なのですが…


通過直前にはぐれ雲が現れて見事撃沈orz
いやいや本命は平面交差だ、と駆け足で向かうと、



ウヤでしたー\(^o^)/

通常は東港駅から、その日のうちにこの平面交差を渡って、奥にある名電築港駅へと運ばれて来るハズなのですが。
この日は臨海鉄道側のレールが封鎖されていて、関係者の方も誰一人居らず、とても列車が到着する雰囲気ではありません。
今日ここに来ていろいろと酷いですな…。


それじゃあ、せっかくだから築港線が横切るところでも狙うか、と思ったのですが、こちらも夕方まで電車がないんですよねー。
これだけお互いに本数が少ないからこそ、今も平面交差が残っているんでしょうけど…。



もう仕方がないので東港へ。
ここまでの牽引機ND5527号と、湛江DL3両のうち「807」「808」の2両が奥の方で休んでいました。
このND5527は、名古屋臨海鉄道の開業50周年を記念して旧塗装へ塗り替えられた機関車です。



そして何故か、残りの「806」と書かれた車両だけ切り離されて、ND5528+ヨ8642と編成を組んで留置してありました。
くそう…悔しいけれども、最後に順光で編成写真っぽいものが撮れたのは救いですかね。

そんな、どうも運が向かない海外向けDL甲種輸送でした。
名古屋臨海、まともに撮影したのは今回が初めてでしたが、国鉄風な塗装に一つ目ライトの機関車はカッコイイし、沿線のゆるい打鐘式踏切にも萌えるし。
きっとまた撮影に行けば、今度は何かいいことがあるかもしれません。

こちらの記事へ続きます。
常陸の国へ渡った営団2000形たち

先日、営団2000形最後の生き残りだった銚子電鉄デハ1001号が引退し、形式消滅となりました。
そこで今回は懐かしの営団2000形ということで…2005年3月31日に廃線となった日立電鉄の写真をアップしたいと思います。
銀座線時代はゆとりなんで知りませんwww


日立電鉄は茨城県の鮎川~常北太田間18.1kmを結んでいました。
上野から常磐線で向かう場合、途中の大甕駅で接続していましたが、当時その手前には鹿島鉄道や茨城交通などの誘惑があり(笑)なかなか大甕まで足を伸ばせませんでしたねー。
2000年9月、湊線の帰りにちょろっと寄ったのが初めてで、その次は廃止2か月前の2005年1月に訪問したのが最後となりました。


2000年の方は日も暮れていて、まともな写真が無かったので…(汗;
今回アップするのは、日立電鉄メインで訪ねた2005年1月の写真です。





日立電鉄では全車が元営団2000形で統一されていて、総勢24両の一大勢力となっていました。
ただ晩年は大幅な減便が行われていたので、稼動できるクルマも限られていたようで、常北太田の広い構内には現役なのか廃車なのか分からないクルマたちが、たくさん転がっていました。

ちなみに銚電へ渡った2両は、日立電鉄の注文流れだったそうです。
そのおかげで10年以上も長生きしたわけですから、人生何が起こるかわかりませんw


常北太田駅は、水郡線の常陸太田駅から国道を挟んだ向かい側にありました。
駅舎は代行バスの待合室として廃線後も暫く使われていたようですが、今は解体されて現存しません。


駅舎内の雰囲気もなかなかのもの。
子供用ボタンに蓋が付いているタイプの券売機、懐かしいですねー。
初めて切符を買ったのは、いつどこだったかは忘れてしまいましたが、この蓋をパタンとやって買ったことだけは、今も鮮明に覚えています。


久慈浜駅に留置してあった幌付きの単行車両。
日立電鉄では片運転台の2000形、両運転台の3000形の2形式に分かれていました。
日中は単行、ラッシュ時には増結も行われていたのですが、末期は手間を省く為か終日2連で固定となってしまい、昼間はガラガラでした。



3000形の重連。
この2両は、廃止を前に旧型車両時代の塗装へ塗り替えられていました。
赤い新塗装は地方私鉄が無理に背伸びしている感じがしたので、このツートンカラーの方が沿線風景に合っていたように思います。


赤は退色も激しかったですしね…


ビール電車「呑電日立号」など、あまり走る機会が無かったようで、かなりみすぼらしい感じになっていました。
この赤い塗装、塗りたては鮮やかで美しいんですけどね。


2000形の車内。
今にして思えば、連結面の方も撮っておけば良かったなぁなんて思ったり(銚電のは両運転台だったので…(^-^;)


扇風機には営団マークが!



終点の鮎川では、すぐ隣を常磐線が走っていましたが、近くに駅はありませんでした。
この鮎川の場所がとても中途半端で、もう少し頑張って日立市の中心部まで乗り入れていたら、日立電鉄の状況も変わっていたかもしれません。